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Candy 我家の日記帳 (仙台からお届けする徒然日記)
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四季の移り変わり、日々の出来事を徒然なるままに書き留めました。
新サイトへ移行について

Windows Web Sever 2008 R2が利用可能となり、徐々に従来のサイトを新サイトへ移動する準備を進めておりましたが、このほどブログサイトの

「我家の日記帳」も新サイトへ移行

できることとなりました。

新旧のURLは下記のとおりです。

ご覧のとおり、URLは従来のURLを踏襲していますのでリンク情報を変更する必要はありませんが、旧サイトをご覧になる場合にはURLが異なりますので、ご注意ください。

TPP参加に反対

TPP交渉への日本の参加問題が巷を賑わしている。私のような市井の人間がとやかく言ういわれはないのだが、やはりひとこと言いたい。

環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への日本の参加は、近々の政治課題としてマスコミを賑わしている。農協や日本医師会が先頭になって参加に反対し、一部の先進的と称する政治家や企業のトップが賛成する構図だ。TPPとは加盟国の間で工業品、農業品を含む全品目の関税を撤廃し、政府調達、知的財産権、労働規制、金融、医療サービスなどにおけるすべての非関税障壁を撤廃し自由化する協定のことだ。

経済界はTPPへ参加しないと国際的な商品の価格競争で他国と太刀打ちできないと主張する。特に隣国の韓国を意識してのことだろう。一方農協は海外の安い農産物が関税無しで国内に流入すれば、国内の農業が壊滅的な打撃を受けると主張する。私は次のような理由でTPP交渉への日本の参加に反対する。

  1. TPP交渉へ参加すると日本の食料自給率がさらに低下する。世界の人口は爆発的に増えている。将来に予測される世界的な食糧不足に対処するために、日本の食料自給率を改善しなければならない。こんな現状を分析すれば、国を挙げて地産地消に取り組まなければならないのにTPP参加はその障害となる。自由貿易と食料自給率の向上を天秤にかけた場合に、まともな人間であれば食料自給率の向上を選ぶだろう。
  2. 東日本大震災で復興途中の日本に、TPP参加のメリットはない。東北の被災地では若者を含めて失業者が増加している。TPP交渉に参加する余裕は政府にはない。
  3. 小泉構造改革と同様に、TPP参加の効果よりも副作用の弊害のほうが多い。そもそも何のための経済活動が考えてほしい。大きな企業が海外で物を売りやすくすることが、日本の市井の人々の生活に役立つのか、考えてほしい。経済のグローバル化は果たして、人々の生活を楽にしているのか、考えてほしい。
  4. TPP参加は明治維新の開国に匹敵すると論ずる愚かな政治家がいる。そもそも明治維新によって、薩摩、長州の田舎ものによって、江戸の薫り高い文化がズタズタに破壊されたのだ。明治の文豪、夏目漱石は、明治維新によって江戸文化は瓦解したと論じていた。そして日本の江戸文化の価値がヨーロッパの国々から逆にもたらされたのは皮肉な歴史の事実だ。明治維新の副作用は西郷隆盛の西南戦争の終結、すなわち明治10年まで続いたのだ。開国の弊害も考えてほしい。
  5. TPP参加によって果たして市井の人々の生活が向上するだろうか。例えば円高で輸入品が安くなって我々の生活が潤うはずが、ちっとも円高のメリットを感じない。TPP参加によって輸入品が安くなるのだろうか。スーパーで売られる野菜はちっとも安くならずに、近所の農家だけが次々と廃業する姿が目に見えるようだ。

何となく見方を変えれば、現代は昭和初期の日米開戦の状況に似ているのかもしれない。日本は当時の国内の思想的な混乱、経済的な疲弊を突破するために、当時でも最強のアメリカに戦争を挑んで無残な負け方をした。TPPも経済戦争におけるアメリカの戦略と考えれば、お人よしの日本はまんまとその術中に嵌まり、無残な敗戦、第二の敗戦を迎えるのかもしれない。3月11日の東日本大震災を受けて、日本はTPPという名の無謀な自由貿易の戦いをアメリカに挑もうとしている。それが大震災以上の致命的な傷痕にならなければよいが。(三)

本格的な寒さが到来(仙台)

今朝の仙台は相当に冷え込んだので、私は通勤に手袋を着用した。泉ヶ岳の頭上近くには満月(暦の上では、本当は明日が満月なのだが)が煌々と輝いていた。午前6時の外気温は摂氏5度しかない。寒いはずだ。これからは外出時には、コートが必要になるに違いない。

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事務所でもガスストーブをつけた。このガスストーブは携帯ガスコンロ用のガスボンベを燃料として使うのだが、ネットで宣伝していたのでイワタニから通販で直接購入した。値段は1万円だったがこのワインカラーの暖房機器は通販でしか買えないそうなので、やむを得ない。持ち運びが簡単なので洗面所でも使えそうだ。(三)

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落し物(高畠町)

本日(11月7日)、山形県の南陽市の警察署から拙宅に落し物に関するお問い合わせがあった。なんでも高畠町にある温泉施設から届けられた名刺入れの中に、私の自宅および事務所の電話番号および家内の電話番号がメモされた用紙が入っていたそうだ。名前の記述はなく、落し物係りの小関氏(南陽警察署、電話0238-50-0110)が電話番号だけを頼りに拙宅に電話してきたものだ。

山形県の高畠町というと私たち夫婦には心当たりがない。この名刺入れは女性用で、表にプリクラ写真が貼ってあった模様である。その写真にはご夫婦と娘さんおよび男女のお孫さんが写っているそうだ。そうなると私たち夫婦にはこの家族が誰なのか全く心当たりがなくなってしまった。たぶん、私または家内の縁者が失くされたのだと思うが、心当たりがある方は、直接南陽警察署へお電話をお願いします。(三)

無線LANから有線LANへ変更

仙台の我家のネットワーク環境は、WAN側がBフレッツを利用した光ブロードバンド接続なのだが、LAN側はパソコンへ有線による配線が困難な関係で、長らく無線LANを利用していた。Bフレッツの光モデムからLANケーブルでハブへいったん接続し、このハブからLANケーブルの分岐でNTTのルータおよびバッファロの無線ルータと接続している。NTTルータはインタネット接続には使わずにひかり電話専用だが、無線ルータからは1階と2階の寝室および娘の部屋のパソコンへエアーステーションの子機を利用してインタネット接続をしていた。このうち寝室のパソコンへの接続は、業者さんにお願いして有線LANへ変更した。この有線LANへ変更した結果、寝室のパソコンは常に安定したインタネットへの接続を確保できるようになった。一方、残りの2か所については依然として無線LANを利用していたのだが、最近、この無線LANによる接続が安定しない。その状態は移動中の携帯電話のように、アンテナの線が数本だったり2本だったりとなかなか安定しない。原因を探ると近所の無線LANで強力な電波を出すユーザーが増えたためのようだ。私の無線IDは下記のD8C424・・・なのだが、ご近所の強力な電波のせいで以前の「強力」から「弱い」へと変化している。これでは安定したデータ通信ができない。

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やむを得ずK’S電気でフラットタイプのLANケーブルを購入して、無線LANから有線LANへ変更した。2階のルータから1階のパソコンへは約33Mのケーブル長が必要だった。一方同じ2階の娘の部屋へは約15M長のLANケーブルが必要だった。いずれもフラットタイプのケーブルだったので、ドアの隙間にも十分に配線できた。以前のCAT5のLANケーブルにはフラットケーブルが無くて、丸型の太いケーブルだけが購入できたのだが、現在では非常に薄いフラットケーブルが登場して、便利になった。

ちなみに有線LANへ変更後の回線スピードは常時、20Mbpsを確保できている。無線LANではせいぜい5Mbpsがやっとだった。費用は有線LANケーブルおよび中継コネクタの購入で約5000円ほど要した。(三)

早朝の気仙沼湾

この写真は安波山の中腹から早朝の午前6時に撮影した気仙沼湾とその先にそびえる亀山の風景である。11月の初旬にもかかわらず異様に暖かく、亀山の麓にはうっすらともやがかかっている。漁船が一隻、湾の奥に向かって進んでいる。この風景だけを見ると3月11日の大震災がまるで無かったかのようである。

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帰り際、法玄寺に兄夫婦の遺骨にお祈りを捧げるために寄った時、駒林泰玄(たいげん)上人より御会式法要のご案内を頂戴した。法要は11月6日(日)だったのであいにく参加できない旨、お断りを申し上げたが、私には元々「御会式(おえしき)」とはなんの行事かわからなかった。案内状によれば御会式とは、日蓮聖人の御命日を期し、報恩の祈りを捧げる日なのだそうだ。私がそれでも怪訝な表情をしていると、泰玄さんが昔お寺でお餅を食べる会があったことを説明された。それならば私が子供の時の最大の楽しみの一つだった。お寺に家族が呼ばれ、ほかの大勢の信者と共に大きな長方形のテーブルに座り、おばさんたちによって給仕されるお雑煮やクルミ餅、あんこ餅を食べる。このお寺で食するお雑煮がほかのどこのお雑煮よりもおいしかった。まだ元気だったトミ婆さんやツヤお婆さんが食事の世話をしてくれるのも嬉しかった。前にも書いたが、当時はお寺が街で行われるいろいろな行事の中心だったように思える。法玄寺は日蓮宗のお寺なのだが、トミ婆さんとツヤお婆さんは冬の修行にも参加していた。街中を夕方、あの法華の太鼓を叩いて信者が巡回する。その中に二人の姿があった。懐かしい思い出だ。

そうか、あれは「御会式」の行事だったのだ。私はそれは仏の誕生日を祝う花祭りの行事だと思っていた。日蓮が時の鎌倉幕府に弾圧された苦行の僧のイメージが強かったので、日蓮の命日にお餅を食べることが似合わないと思っていた。御年58歳になってひとつ誤解が解けた。

本案内状には末尾によい言葉が書かれていたので、是非とも紹介したい。(三)

「あれほど荒れ狂った海も、秋の日差しにきらめく恵みをもたらす海へと蘇っています。各家先祖代々之霊位と共に震災物故者のご冥福と、復興への祈りを捧げ、前へ進む一歩といたしましょう」

お墓の雑草退治(気仙沼)

まあ雑草そのものは何も悪いことをしているとは思っていないのだろうが、むしろ生きとし生けるものの常として、当たり前の生存の権利を主張しているのかもしれない。しかし親せきが大勢集まる墓前で、草ぼうぼうのお墓の姿は遺族として具合が悪い。生前の随光院が春と秋のお彼岸の前に安波山の中腹まで登って雑草退治をしてくれていた。一方、夫たる唱道院は下世話なことと思ったかちっともお墓に来なかった。この二人が亡くなり墓守がいなくなってしまったので、御年58歳、不肖弟たる私がその役目を引き継ぐこととなった。もっとも遺族会議を開いて決めたのではなく、気仙沼に一番近い仙台に住む私が、そっと手を上げるしかなかった。

気仙沼市の市営墓地は山奥にあるが、車で行けるので、お墓の改修工事をしたとしても、その苦労は大したことはない。しかし旧市街の法玄寺、観音寺、正林寺の墓地はいずれも山の急斜面に造成されている。中でも我が実家の墓地は入沢墓地の最上階にある。確かにここからは気仙沼湾が望めて入船、出船の様子がよくわかる。しかしここへ来るまでに人一人がやっと通れる急斜面の細い道を登り切らなければならない。信心深いトミ婆さんがこの場所を決めたのだろうが、若年ならばともかく老年に近づいた子孫にとって多少難儀である。

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まずは工事前と工事後のお墓の姿を見ていただこう。素人の私でも手順を踏めば一人でもできるものだ。

  • 工事前の草ぼうぼうの状態

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  • 工事後の砂利が敷き詰められた状態

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甥たちに私の苦労を分からせるためにも、ぜひ、その作業の手順を本ブログに残したい。最初に本工事で使用した道具を示す。

  • お道具

防草シートの上に置かれているのが、トンカチ、短いスコップ、鍬、ビニール手袋、すのこ、そして4輪がついた作業椅子である。この作業椅子は長時間の中腰の作業に便利だ。もしもこの作業椅子がなければ、すぐに腰痛が始まり、長時間の作業はとても望めなかっただろう。

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  • まずは草むしり

鍬と短いスコップを使用して雑草を根こそぎとって、土のう袋へせっせと入れた。土のうは全部で18袋も出来上がった。この草むしりで手抜きをすると、あとで防草シートの下から生命力の強い雑草が再び生えてくる可能性がある。できるだけ丁寧にやったので、土のう袋の数も増えてしまった。

  • できるだけ平らに整地する

掘る深さは墓地の土台のコンクリート面から5cmぐらいにした。下の写真で左下の土台と土の面の高さの違いを見ていただきたい。なお整地する段階で大量の瓦礫が出土したので、この段階が一番時間を費やした。

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  • 防草シートを張る

防草シートは端の部分が後で調整できるので多少長めに張った。はさみとナイフを使って後で切り詰める。防草シートの地面への固定は専用のプラスチックの杭を用いるが、下が固い石だとこの杭がなかなか刺さらない。そこで急きょホームセンターへ行ってトタン屋根用の鉄鋲を調達してきた。写真の左下に見えるのがビニール袋に入った青い鋲である。この鋲を使えば、ほとんどの固い地面に突き刺せることができた。

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  • 砂利を敷き詰める

砂利といっても庭に使うような5色の玉砂利である。最初下の写真にある砂利を10袋用意したのだがとても足らなかった。それで夕方にさらに追加で4袋をこの山の墓地まで運んできた。また撤去した土砂には玉砂利が少し入っていたので、すのこで土を濾してから灯篭の下の地面に使用した。本当は全部新しい玉砂利にしたかったのだが、これ以上玉砂利をお墓まで運ぶ気力が残されていなかった。

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  • 完成

異なるアングルから撮った完成後の墓地である。右下の黒い砂利は古い砂利を再利用したものである。いずれも全部同じ玉砂利へ交換する予定だが、今回はここまでとする。

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  • ポコの墓

墓地の片隅に浜見旅館で飼っていたポコのお墓がある。角にある比較的大きな石が墓石代わりである。ポコもあの世で兄夫婦と再び巡り合えて喜んでいるかもしれない。

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  • 費用について

墓地の改修工事について、その費用について補足したい。自分で全部の工事を行ったとして材料費は約10000円程度で済む。問題は私の人件費だが、約2日の工程だった。気仙沼のこの時期は日が暮れるのが早くて、午後4時になると仕事を終了しなければならない。早朝の仕事も午前6時をすぎないと明るくならない。自分のための仕事と思えば、この二日間の業務は決して損とは思わない。そして何よりも天気が良かったのが幸いした。11月の初旬なのに異様な暖かさだった。山の上でもやぶ蚊が酷くて、一時仕事を中断して街のコンビニで防虫スプレーを購入しようとした。しかし11月のこの時期には防虫スプレーは店頭に置いていないといわれた。やむを得ず線香を買ってお墓の周りで焚いた。線香には防虫効果があることを思い出させてくれた。(三)

  1. 玉砂利14袋 約6000円
  2. 防草シート(1.5間X1.5間) 約2000円
  3. その他 2000円
11月の大川(気仙沼)

11月3日に気仙沼を訪れ、翌日4日の早朝に大川沿いを訪れた。その時撮影した写真を本ブログへアップする。大川は水量豊かな大河のようになっていた。まるで水が流れていないように静かな川面だった。例年ならばハクチョウやカモなどの水鳥がその優雅な姿を見せるのだが、今回はまったく見かけなかった。餌となる川魚が不足しているせいかもしれない。

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大川の土手沿いの桜はかなり傷んでいたが、来年春の開花の準備のため養生しているのだろう。しっかりと根を張り枝を広げていた。右わきの人家は一見何の被害もなさそうだが、実際には無人の状態だった。いつになったら自分の家に戻れるのだろうか。昔ご近所だった小湊さんの家もあった。外見は昔の姿を残すものの、内部は壊れたままだった。

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こちらは桜の木が前方で途切れている。まるでその先の土手が崩壊したように見える。

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大震災で甚大な被害を受けた南気仙沼小学校が対岸に見える。水面に写る校舎が滲んで泣いているように見えた。そう言えば小学校とこちらの岸を結ぶ歩行者専用の橋があったはずだ。画面の左寄りのコンクリートの壁の切り口がその名残である。この橋はJR南気仙沼駅を乗降する高校生の通学路にもなっていた。

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大川の手前の「内の脇地区」の壊滅的な被害に比べて、対岸の「南郷地区」は被害が少ないようだ。少なくても全壊するような家屋は見かけなかった。まずは被害の少ないほうから、早急に復旧してほしい。(三)

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ネット版三陸新報(気仙沼)

仙台に住む私にとって気仙沼へ帰省した時に読む地元紙「三陸新報」が、地元の今を知るとともに知人の名前を探す楽しみの一つだった。そしてこの3月の震災後では、地元の復興の様子や縁者の訃報を知る貴重な情報源となった。しかし仙台の地で三陸新報を購入することは可能だが、速報性の観点からはこのネット版の三陸新報が役に立っている。月1400円で購読できるので8月から毎日事務所で読んでいる。

しかし液晶モニタで新聞を読むのは、字体がネット用ではないので何とも読みにくい。そして新聞を開いたり記事を追いかけたりする操作性は、とてもマテリアル版の三陸新報にかなわない。しかしこの11月からバージョンアップして多少操作性が向上した。

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例えば画面左側にページ一覧が表示されるとともに、ナビゲーターがついたので画面を拡大したまま記事の移動が簡単になった。格段の進歩だと思う。あとは活字体をネット専用の「メイリオ」へ変更してもらえると助かるのだが。(三)

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仙台箪笥と仏壇

気仙沼の実家にあった立派な仏壇が建物と共に流された。この仏壇は祖母のトミが22歳の若さでニューギニア戦線で戦死した敬志叔父の遺族年金をためて購入したそれは立派な仏壇だった。実家の仏壇でお焼香してくださるお客様は誰もがこの仏壇を褒めてくださった。その自慢の仏壇がなくなったので、ご先祖様の位牌(過去帳)も復活したことだし、甥達をせかせて新しい仏壇を購入させようと思っている。先日家内と仙台三越に用があって行ったところ、家具売り場に実に立派な仏壇が置いてあった。仙台箪笥を造る職人がその技術で仏壇も造っていることを初めて知った。母も一関からの嫁入り道具に似たような箪笥を2棹(さお)、気仙沼へ持ってきたが、昭和35年のチリ地震津波で冠水してしまって、もったいないことに古道具屋へ安価で売ってしまったと愚痴を言っていた。

写真を見るとわかるが、すべて仙台箪笥独特の黒光りする金具を使っている。値段は50万円からで、甥の住む鴬谷のマンションにはちょうど良い大きさではないか。まだ独身の甥がこの仏壇の前で手を合わせる姿は、実に清々しい風景ではないか。嫁さんをもらうにしても、仙台箪笥の仏壇付きのマンションなんてそうそうあるものではない。

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昔まだ私が中学生だった頃、父に唐突に結婚の目的は何かと訊いたことがある。父の答えは「子孫を造ることだと」と平然な顔でのたまった。若かった私は結婚とはそんな生殖行為であるはずがないと反発したものだ。いまでは誰も読まなくなったが、私は小説家である武者小路実篤先生が提唱する「プラトニック・ラブ」に意味もよくわからないまま影響を受けていた。結婚とは何か崇高なことと錯覚していたのだろう。

兄夫婦が震災で亡くなると、叔父として遺された甥達を早く結婚させて、自分なりに安心したくなる。そんな私も37歳まで独身だったのだから、甥達へのよい手本にならない。私の住む仙台北部では「できちゃった婚」がはやっている。日本の人口が減少に転じる中で、民族の自己防衛の本能が働いているのかもしれない。東京のような大都会に住むとそのような切実さが薄れてしまいかねない。甥達よ!仙台も住むには良いところだぞ!(三)

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 2011/03/19気仙沼

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